シークエンス オブ イベンツ



学校横、通用門から少し離れたところにある小さな花屋。


幾つものバケツに入れられた花束が、狭い間口から溢れるほどに置かれている。

春夏秋冬、絶えることのない花のある風景。

きっとその風景は変わることはないのだろう。

そこに、本条先生が居る限り。




「まさかここがそうだったなんて・・・誰も思いもしないよ」

御幸の言葉は、同じように間口の前で躊躇っていた水島を思い出す。


―・・・ここが謹慎の入り口だなんて、誰も思わないですね―


「誰も知らないからこそ、自分を見つめ直してまた戻って来れるんだと・・・僕は思うよ」


そして白瀬さんが語ってくれた、この花屋の存在の意味。

奥の扉から広がる世界は・・・。



花に囲まれた静かな世界

しかしけして穏やかな時ばかりではなく

時に激しく時に辛く

人生の縮図がそこにある



―あの小さな花屋の入り口はそんなところだよ、聡―



「・・・僕は、戻って来れるかな」

「御幸、君のその不安を取り除いてくれるのは、本条先生と君のクラスのおせっかいな委員長だよ。だから行かなくちゃ」

「うん・・・そうだね。ありがとう、聡。後少し、付き合ってくれる?僕の足が後戻りをしないように」


御幸は蒼白の顔を真直ぐ前に向け、間口から差し込む夕陽の輝きを背に戸口の敷居を跨いだ。







―聡、僕を・・・本条先生のところへ連れて行って。渡瀬が・・・待ってる・・・―

御幸の手に握られていたタバコとライター。

まさか!という思いよりも、どうして・・・という気持ちの方が強かった。

しかし、その言葉を口にすることは出来なかった。

ここで一緒になって動揺しているわけにはいかない。

滴り落ちる涙を拭おうともせず立ち尽くす御幸に、いま僕がすべきこと。



「――もしもし、渡瀬」

[ 聡、何か用か? ]

携帯に掛けると、すぐに渡瀬は出た。

御幸は僕が渡瀬≠ニ呼んだと同時に、また涙を溢れさせた。

ハンカチを手渡し、震える御幸の肩をそっと抱き寄せた。


[ ・・・おい?聡?もしもしっ! ]

「あぁ、ごめんね。聞こえてるよ」

[ だったら早く言え!俺は忙しいんだ!まだ温室の戸締りもあるっていうのに、
用具出しっ放し
でさっさと自分の部屋へ帰りやがって・・・ ]

「くすくす、渡瀬。君のそんなところが、御幸にはおせっかいに映るみたいだよ」

[ 聡・・・ ]

「御幸に頼まれたんだ。先生のところへ連れて行って欲しいって」

[ ・・・そうか。今から? ]

「うん。いいかな」

[ ああ、先生に連絡しておく。
・・・通用門は、先生の名前をフルネームで言えば通してくれるか
ら。それじゃな ]

「あっ、渡瀬!」

[ ん? ]

「御幸が言ってたよ。君が、待ってくれてるって」


少し間が空いた後、無言のまま携帯は切れた。

言葉よりもはっきりと、渡瀬の思いが伝わってきた瞬間だった。







渡瀬と御幸: 二人の委員長


それは渡瀬たちの謹慎が解けて、それぞれがクラスに復帰した日のホームルーム。

渡瀬の第一声は、皆の前で謝罪するところから始まった。


―言い訳をする言葉は、何ひとつありません。僕に係わる全ての人を、裏切ってしまったことを深く反省しています。
そして過ちを正せる機会を頂けたことに、感謝しています―



元々渡瀬たちは、常に学年の中心にいたので友達も多い。

多くの生徒は一様に理解を示しており表立っての混乱やいざこざなどはなかったが、ただやはり一部には風当たりの強い言動程度は当然のことながらあった。



高等部三年Aclass 放課後――。

委員長として復帰した渡瀬は、それまで代行していた御幸から引き継ぎの確認をしていた。


―これが新年度第一回目の委員会議事録。最初だからね、特に何も重要な案件は話し合ってないよ。
まあ、君のことだから、これを読めば僕の説明なんて必要ないね―


―いや、助かるよ。御幸で良かった、ありがとう―

―へえ・・・君でも礼を言うんだね―

それまで淡々と引き渡し作業をしていた御幸が、薄ら笑いを浮かべて意地悪く茶化した。

渡瀬が謹慎処分の間だけの委員長代理というのは、御幸の自尊心からしても内心では腹立たしかったに違いない。

黙ったままの渡瀬に、御幸は追い打ちを掛けるように訊ねた。

―今までは言われるばかりだったものね。多少の謙虚さも覚えて来たのかな?向こうで―


―そうだな。そこが俺の足りなかったところだと気付いたから、自分自身を見つめ直すことが出来たんだ―


御幸の顔から薄ら笑いが消えた。

渡瀬の変化にいち早く気付いたのは、他でもない御幸だった。

だが、認めたくない思いは如何ともし難く、それを拒絶するかのように長い睫毛を伏せた。

心の中で渦巻く葛藤。


そんなイライラの感情が頂点まで突き上げてきた時、


―おーい、御幸!真幸が呼びに来てるぞ!大声で御幸、御幸って、うるせぇんだよ!―


知らせに来てくれたクラスメイトの声で我に返った。

御幸は議事録の束を掴むと、辛辣な言葉と共に渡瀬の前にバサッと投げ置いて席を立った。


―さすが委員長は言うことが違うね。でも僕には負け惜しみにしか聞こえないよ―







渡瀬と御幸: ローズガーデン


御幸の渡瀬に対する態度は一方的とはいえ、否応なく二人の間に軋轢を生じさせた。

また僕への蟠りが深まっていったのも、この頃からではなかったかと思う。


三年生対抗のバスケの時も、渡瀬たちに囲まれて楽しそうに笑っていた僕を、御幸は真幸と一緒に観客席で見ていたのだろう。

かつて仲の良かった友達は、復学して学年が違ってしまうと、もう自分のことなど忘れてしまったかのように御幸の目には映ったに違いない。

御幸が僕に声を掛けることが出来なかったのは、渡瀬と親しくしている姿を目撃したからだ。

よりによって渡瀬と・・・その思いが一層蟠りを深くさせる結果となった。


僕は僕でそのあと医務室の病室で出会った朝倉と、渡瀬を巻き込んでのトラブルに発展してしまったという出来事があった。

渡瀬がバラ園の見回り(パトロール)に駆り出されていたのも、朝倉に関連してのことだった。

朝倉の件は渡瀬の見回りから一気に収束へと流れて行ったが、その時もうひとつ別の出来事に繋がる人物との出会いが渡瀬にあった。

人と人が係わって形成される物事には、そこに偶然の重なりや出会いがあることで、複雑に絡み合う人間模様が浮かび上がってくる。



夕暮れ時、野外のバラ園。

渡瀬の携帯に、夕食後先生から否応もない呼び出しのメールが入った。

指定された場所で待てど暮らせど、一緒に見回るはずの先生は来なかった。

仕方なく一人で見回りを始めていると、突然バラの垣根がカサカサと音を立てて揺れた。

咄嗟に渡瀬は駆け寄った。

夕暮れはすっかり陽が落ちていて、外灯の光が小道に現れた人物を照らし出した。


―御幸か・・・いきなり現れたんで驚いた。どうしたんだ、こんな時間に―

―・・・それはこっちのセリフ。君こそ何してるの・・・ゴホンッ・・・―

―俺は、先生に頼まれて、その・・・バラ園の見回りだ―

―見回り?・・・ああ、最近バラが手折られるっていう悪戯の。
委員長は大変だね、そんなこと
までするんだ。君が帰って来てくれて、本当に良かったよ―

それが皮肉なのは、言うまでもない。

―いや・・・委員長は関係ないさ。先生は担任じゃなくて、指導部の先生だ―

―ふ〜ん、そりゃあ一ヶ月程度で帰してもらったんだから・・ゴホッ・・・頼まれたら何でも・・するよね、ゴボンッ!うぅ・・・ゴホゴホッ!―

最初は小さな咳払いだったのが、話すうちに息が苦しくなるのか激しく咳き込み始めた。

皮肉を言われた渡瀬より、御幸の表情の方が大きく歪んだ。

―おい、大丈夫か・・・―

―ごほっ・・触るな!そこを退けよ―

手を払い除けられた渡瀬は、黙って横に退いた。

そしてすれ違い様、ようやく咳きも収まった御幸はそれとなく理由を告げた。

―・・・一応、僕がバラの悪戯犯じゃないことは言っておくよ。バラ園の垣根の通り抜けは、医務室からォまでの近道だからね―

御幸の髪が夜風になびき、その風は渡瀬の横顔を掠めて吹き抜けて行った。


大丈夫かと声を掛けて近寄ったときと、今と。

微かに感じた紫煙の香り。

渡瀬は去って行く御幸の後ろ姿を、じっと見つめた。


医務室を抜け出した僕が、バラ園で渡瀬と出会ったのはその後のことだった。







渡瀬と御幸: 教室にて


自分がしていたからこそ、わかることがある。


野外のバラ園の見回り中、渡瀬は御幸と偶然鉢合わせした。

微かではあるけれど、御幸から漂ってきたタバコの匂い。

その場で腕を掴んで、問い詰めるくらいのことは出来たはずだった。

しかしそれをしなかったのは、渡瀬自身がタバコで処罰を受けたからだ。

事の重大性については身を以て知っている。

密かに感じただけの不確かなことに、軽々しく言葉は掛けられなかった。



学期末考査を数日後に控えた高等部三年の教室は、休み時間になっても異様なほど静かだった。

中高一貫六年間で学んできた集大成ともいえる学年なのだ。

どの皆も教科書やノート、辞書を手に、教室での一分一秒を学生の本分に費やす。


―・・・ゴホッ、ゴホン―

そんな中、御幸の咳きは相変わらず続いていた。

一時よくなっても、すぐまたぶり返すという状態だった。


咳き込むたびハンカチで口元を抑えたりはしているものの、いつまで経ってもマスクをしようとしない御幸に、見かねた渡瀬が注意をした。


―御幸、ちゃんとマスクをしろ。試験前に、他の皆に移ったりしたら大変だぞ。
咳きが一番、菌
が飛び散るんだからな―

―・・・何?まるで人のこと、ばい菌みたいに言うよね―

―俺は実際に咳きから風邪を移された奴らを見ているから、言ってるんだ。
さっきからかなり
咳き込んでるし顔色も良くないな。医務室に行ったらどうだ―

―くすくす・・・うっ、ゴホッ、ゴホン!ゴホンッ!・・・・・・そうしようかな―

含み笑いのあと何かを言おうとしたところで激しく咳きに咽てしまった御幸は、気力を使い果たしたように青白い顔をして立ち上がった。


―ひとりで大丈夫か?ついて行こうか―

―そう?じゃあ肩を貸してよ―

渡瀬は御幸の言葉を疑うことなく、傍に寄った。

―・・・止せよ、冗談だ。僕が本気で言っているとでも思ったの?それとも、パフォーマンス?くすっ、委員長としての―

―パフォーマンスでも何でもいいから、肩に掴まれ―

拒まれても尚、渡瀬は御幸の状態が心配のようだった。


―おっ!御幸ー、渡瀬に絡まれてるのかぁ!―

―御幸の咳きは、しょっちゅうじゃん。今に始まったことじゃないのにさ―

少し離れた席から、二人のやり取りに気付いたクラスメイトが面白そうに囃し立てた。

その発言から、どちらかというと渡瀬に風当たりの強い部類の生徒たちのようだった。

そうかといって、御幸に好意的かといえばそうでもない。

彼らは風邪が移るのを警戒して、御幸に近づこうとはしなかった。


―チッ、うるさくなってきたじゃないか。六時限は現代史だから、ちょうどいい。
君の言に従う
よ、委員長さん。先生にはちゃんと言っておいてよ―


―何だぁ?御幸、フケんのかよ!ヒュウ、余裕だねぇ。やっぱ、俺らとは頭の出来が違うわ―

―おいおい、委員長、言いなりだな!渡瀬、すっかり軟(やわ)になったよなぁ、いつから?―

―そりゃ、あん時からだろ―

先ほどの彼らが御幸をダシに、ゲラゲラと渡瀬を嘲笑した。


御幸は彼らのことは端から無視しており、そのまま教室を出て行った。

渡瀬も相手にしないので、いつの間にか嘲笑の声も収まり教室内は静かになった。







渡瀬と御幸: 先生の領分、生徒の領分


渡瀬がはっきり御幸に喫煙を問い質したのは、学期末考査が終わってからのことだった。


野外のバラ園でタバコの匂いを感じて以降、渡瀬はそれとなく御幸の様子に注意を払っていた。

ふとした時にいなくなる時間帯や、一人なのか誰かと一緒なのかなど。

四六時中というわけではなかったが、教室や寮、食堂など、御幸のいるところでは出来る限り目を配った。


喫煙に至る理由は様々だが、隠れて吸うという行為については変わらない。

まさしく、

自分がしていたからこそ、わかることがある

御幸のいくつかの行動パターンが自分の時と似ていることに気付いた渡瀬は、この時点で先生の元へ相談に向かった。

当然この場合の先生とは、担任ではなく校則違反の指導を受けた本条先生となる。


―加藤御幸・・・君の代わりに委員長をしていた生徒だろ。
君が復帰する際に、担任の先生か
らファイルを見せてもらったよ。谷口と同じクラスの加藤真幸とは双子だったよね―

―はい、その通りです―

渡瀬は、先生があまりにもスラスラ答えたことに驚いた。

―何だい、僕が真幸のことまで知っているのが、そんなに驚くことかい?―

―はい―


そうかなぁ・・・%ニり言のように呟いた先生は、少し考える動作でテーブルに片肘をつき中指でトントントンと、その表面を叩いた。

先生と渡瀬が向き合っているのは、宿舎のいつもの食堂だった。


―真幸とはこの間の学期末考査の後だったかな、購買部のコンビニで聡君と一緒にいるところを会うことが出来たよ。
ちょうど君の話と似たような話が持ち込まれていた時だったからね



―えっ?―


―加藤御幸には、すでに喫煙の嫌疑が挙がっているんだよ―


驚きが大きすぎると、返って声は出なくなるようだった。

渡瀬は呆然と先生を見つめた。


―渡瀬の話は、ちゃんとこちらで精査しておくよ―

―あの・・・そうしたら御幸は・・・―

先生は片肘をついた姿勢を起こすと、柔らかな口調でしかしきっぱりと言った。


―そのうち呼び出しがあるだろうけど、それ以上は渡瀬、君が関知することじゃない―


―・・・はい―



御幸に呼び出しが来たら、もう間に合わない。

はい≠ニ返事をしたはずの渡瀬は、先生の宿舎を出ると広い校内を駆け抜け、ォの階段を駆け上り、息も乱れたままに御幸の部屋をノックした。


―・・・何の用?―

―あ・・良かった・・・御幸、話がある。部屋に誰か来てるか―

―話?僕は君と話すことなんかないけど・・・汗だくだね。
しかも人に聞かれちゃまずいような話
なら、聞かないわけにもいかないね。どうぞ、入って―

部屋に通されると、新型の携帯と説明書がベッドの上に置かれていた。

―携帯・・・御幸もスマホに変えたのか?―

―僕は従来のでも良かったんだけど、真幸がうるさくてさ。親は一緒じゃなきゃ、お金出してくれないからね―

―真幸か・・・―

―渡瀬、携帯の話をしに来たわけじゃないんだろ―

よもや自分のことだとは、微塵も感じている様子はなかった。


―俺も、共犯かな。わかっていて、ずっと黙っていたからな―

―・・・・・・―

一変≠ニいう言葉がピタリとはまるほど、御幸の表情が変わった。


渡瀬は単刀直入に切り出した。


―喫煙しているだろ。それも俺の時と同じ・・・常習に近いはずだ―


―何の話かと思ったら・・・。僕はその手には乗らないよ。君がそう思うなら勝手に言いつければいいさ。
ただし僕は言うけどね、とんだ因縁をつけられましたってね―



―そうだな。俺なんかより、御幸の方がずっと皆の信用も信頼も厚い。だけど御幸、お前の相手は俺じゃない―


御幸の眉間が深く歪んだ。

―・・・何を証拠に?僕が喫煙しているっていう証拠は!?根拠は!
何ならこの部屋を家探しし
たらどうだ!!うっ・・ゴホ、ゴホッ!ゴフォッ!―

声を荒げるとやはり息が続かないのか、苦しそうに胸を押さえながら咳き込んだ。


―御幸、体を潰す前に断ち切れ。学校は・・・ここの先生たちは、誤魔化せない―


誤魔化せない。

そして自分自身を・・・。


体を丸めながらぜぃ、ぜぃと喘ぐ息の下、まるで決定的な宣告をされたような顔で御幸は渡瀬を見た。

渡瀬は、それを話に来たんだと言った。


―俺はこのまま指導部の本条先生のところへ行く。御幸、そこでお前を待ってる―

―・・・どうしてそこまで。渡瀬、君は昔から面倒見は良かったけど、そんなにおせっかいじゃなかったはずだよ―


荒い息が収まって胸の苦しさが取れたと思ったら、今度は胸が熱い。

当初すでに感じていた渡瀬の変化を、御幸はとうとう口にした。


―面倒見が良いか・・・そんなものは単なる上っ面だけのものだったのさ。一年の中坊が教えてくれたんだ。
おせっかいと言ってくれるなら、俺も少しは真幸や聡に近づけたかな―



そう言い残して、渡瀬は御幸の部屋を出た。



陽が落ちた寮の部屋。

御幸は肩を震わせながら、ダンッ!ダンッ!と繰り返し拳で机を叩いた。

電気もつけない暗い部屋の窓から外灯の光が差し込んで、ベッドに置かれたままの真新しい携帯を映し出していた。



片や渡瀬は、いま来た道を戻る。

ぶわっと蒸し暑い夜風にまた汗が滲む。

寮と宿舎の往復で汗まみれの渡瀬に、以前のように何でも卒なくこなしていたスマートな姿は全く見受けられなかった。

ベッドがひとつしかなければソファに寝ることも厭わず、夜泣きをすれば不安を取り除いてやり・・・。

どうすればいいのか迷いながらも懸命に係わって行く中で、上っ面だけでは決して心は伝
わらないと渡瀬は気付いた。

だから流苛は心を開いて、天使から少年になった。


そんな渡瀬の、あるべき未来の姿を一番願っていたのは・・・。



―先生!少しだけ・・・待ってもらえませんか!―

―待つって、何を?―

―御幸の呼び出しです―


渡瀬からもう一度話を聞いて下さいと連絡を受けた先生は、特段驚いた様子も見せず姿を現した。

明りの灯った宿舎の食堂に、ほんの数時間前と同じ光景が繰り広げられていた。


―御幸には何て言ったの?―

―先生から聞いたことは、何も言っていません―

―だけど仮に御幸が自分からここに来たとしても、校則違反が軽くなることはないよ―

―それはわかっています!俺はそんなことで、待ってくれと言っているわけじゃありません―

―ふ〜ん・・・それじゃ、何?―

―御幸の喫煙は、俺たちのように退屈半分刺激半分のろくでもない性根からではないような気がするんです。
御幸とは親しくはありませんが、それでも六年を共に過ごしているんです。
あま
り丈夫じゃないあいつが体を痛めてまで喫煙するには、何かよほどのストレスを抱えているんじゃないかと思いました―

―それで?―

―そこまでわかっても、御幸に嫌われている俺には何も出来ませんでした。
俺は・・・正直今も
体は喫煙の感覚を覚えています。断ち切るには、心の清算が必要です。
それなら、御幸が自
分から清算出来ればいいと思いました―


一気に話し終えた渡瀬を、先生は暫くじっと見ていた。

渡瀬は緊張で足が震える思いだった。

常日頃先生の手伝いをしていても、全くそんな気持ち的な慣れは生じなかった。


―まあ、概ね同じ方向かな―

―方向?―

―御幸に対する考え方が、学校側と添っているってことさ。
方向性が合っていれば、生徒の自
主性を尊重するのは学校の方針でもあるからね―

―あ・・ありがとうございます!―

―但し、尊重するのと勝手な行動を認めるのとは、全く性質が違うよ。
今後はよく領分をわきま
えて行動すること。次は渡瀬、御幸のことより自分の心配をしなくちゃいけなくなるよ―


よくわきまえて行動すること・・・つまり渡瀬の今回の行動は、少なからず生徒の領分を逸脱しているという厳重注意に当たる。

強い決意で臨んだとしても、渡瀬は改めて自分の行動に生唾をのみ込んだ。


―渡瀬!返事!―

―あ・・はいっ!―


カチコチに固まった渡瀬の返事を受けて、ようやく先生は笑顔を見せた。


―足元のスポーツバッグ、二度目だから用意がいいね―

―・・・・・・―

渡瀬にとって二度目だから≠ヘ、あきらかにひと言多い。

もう普段の先生に戻っていた。


―渡瀬がここで待つのは一向に構わないけど、謹慎じゃないからね・・・どうしようかな―

―え?俺は共犯じゃないんですか―

―渡瀬は御幸がタバコを実際吸っているところや、持っているところを見たかい?―

―いえ・・・―

―じゃ、違うだろ。あくまで推察の域だからね―

―あの・・・何もなくてもここで待っていていいんですよね。そうでないと・・・―

―うん、わかってる。授業の出欠はここでも取れるし、担任の先生には僕から話しておくから。
まっ、大丈夫さ。取りあえず渡瀬、夕食食べよう。おばちゃん呼んで来て―

―・・・はい―


流苛が泣きながら僕の部屋に訪ねてきたのは、その二日後だった。

夏休みまで一週間を切った頃の出来事だった。







先生の宿舎―。

食堂には、先生と渡瀬。御幸と僕の四人がいた。

座席位置は先生と御幸が向き合う形で、渡瀬と僕は二〜三席分離れて座った。


「渡瀬に、迷惑を掛けました」

御幸はタバコとライターを、先生の前に差し出した。

「いつから」

「初めて吸ったのは高二の夏休み・・・帰省していた時です」

「どうだったの」

「咽ました。咽て、咽て・・・それが一度吸い込んだ時に頭がクラッとして、
何だかその時の感覚
が妙に忘れられなくて、イライラするとその感覚を思い出しました」

「それから」

先生の促すままに、御幸は続けた。


日が経つにつれ、咽る苦しさよりもその時の感覚を求めるようになった御幸は、高三に進級する春休みやはり帰省した家でまた喫煙をしてしまった。

咽ては咳き込み、時には嘔吐を繰り返しながらも、タバコは御幸のストレスのはけ口となっていった。

渡瀬たちがそうであったように、タバコは常習すると止められなくなる。

御幸も例外ではなかった。

三年に進級する春休み中の渡瀬たちの校則違反は学年中の驚きではあったが、それが自分と同じ喫煙だとわかると、御幸は怖くなって暫くタバコに手を出すことが出来なくなった。

しかし当然退学だろうと思っていた彼らたちは一ヶ月程度の謹慎処分で放免となり、ましてや渡瀬の委員長としての復帰は自分の価値を否定されたような気がした。

春先の謹慎事件も収まり、日常の学校生活に皆が落ち着きを取り戻す頃、再び御幸の喫煙が始まった。


「渡瀬自身その辺りのことは、君に対して責任を感じているみたいだけど。
渡瀬は君の喫煙
が、少なからず自分にもあると思っているみたいだよ」

「いえ、渡瀬は関係ありません。第一そんなことは理由になりません。全ては僕の・・・心の弱さです」

「そうだね、君がそれに気付いているなら渡瀬とのことは問題ない」

一旦先生はそこで話を切って、渡瀬に呼び掛けた。

「渡瀬」

「はい!」

そしてすぐまた御幸に視線を戻した。

「御幸、三年Aclassの委員長は、渡瀬がいないときは君が委員長だ。
委員長の役割に代理な
んてない。今回も担任の先生から、君が委員長を命じられたはずだよ。違うかい?」

先生は学校側の立場から、御幸が委員長として認められていることを伝えた。


「・・・っ・・はい」

伝えられた言葉の重さは、そのまま御幸の涙混じりの返事となった。


御幸が自ら申し出てきたことで喫煙の経緯など聞き取りは穏やかに淡々と進み、このまま平穏に終わる・・・渡瀬も僕もそう思っていた。

ところが、そんな僕たちの考えは一瞬の元に打ち砕かれた。


「それなのに、渡瀬!御幸!君たちは三年Aclassの委員長でありながら、何をやってるんだ!!」


バンッ!!

叱責と共に激しくテーブルを叩く音が響いた。


二人の身体が瞬間ビクッと跳ねた。

渡瀬はきゅっと唇を噛み締め、御幸に至っては涙混じりがそのまま涙に変わってしまっていた。

少し離れた席に座っていた僕でさえも、下手な身動きは憚られた。


そんなピリピリとした状態の中、突然携帯の着信音が聞こえて来た。

着信音は御幸の携帯からだった。

「・・・あっ!す・・すみません!」

慌てて御幸は携帯を切った。

「誰から?」

先生は咎めることなく、訊ねた。

「・・・真幸です」

「掛け直していいんだよ。君を探しているんじゃないのかい?」

「いえ!あの・・・いいんです。真幸は関係ありませんから。後で先生の方から伝えてもらえれば、それでいいです」

先生と御幸がそんなやり取りをしている間に、今度は僕の携帯が鳴った。

イルミネーションパネルは【谷口】を表示していた。

「谷口からだ」

御幸のすぐ後に掛かってくるということは、谷口が真幸といるのはほぼ確実だった。

「聡君、出て」

先生はすかさず僕に命じた。

「あ・・はい。もしもし・・・」

[ ああ、聡。御幸、知らないか?真幸が探してんだよ。お前、今日御幸と街へ行ってたんだって? ]

「うん・・・・僕と一緒にいるよ」

[ なんだ、やっぱり一緒か( 真幸、いるってよ )どこだ? ]

「あの・・・」

僕と谷口が話している間、先生は渡瀬に何かを伝言したようだった。

「聡君、渡瀬に代わってやって」

「あ・・・はい」

[ おい?聡?もしもーし! ]

「谷口、俺だ 」

[ 渡瀬?・・・何でお前がいるんだ?お前・・・ ]


渡瀬は僕から携帯を受け取ると、そのまま席を立ってやや離れたところに移動した。

「・・・ああ、そうだ。真幸をここに・・・まだシャッター閉めてないから・・・
通用門・・・先生の名前
をフルネームで・・・そう・・・」


途切れ途切れに聞こえて来る渡瀬の話の中に真幸の名前を聞き止めた御幸は、驚いたように立ち上がって声を上げた。

「渡瀬!真幸は関係ない!先生!これは僕だけの・・・!」

「御幸!着席!!」 バンッ!!

先生はテーブルを叩いて、御幸の抗議を遮った。


「・・・うっ・・ごほっ、ごほん!はぁ、はぁ・・・」

大きな声を出すと、喉を刺激するのか咳きが出るようだった。

蹲るように着席した御幸の傍らに駆け寄って、荒い呼吸に上下する背中を擦った。


静かに空気の流れが変わって行く。

渡瀬も僕も・・・そして誰より、御幸が一番感じているに違いなかった。


「・・・御幸。僕はね、見えない未来の闇がすごく怖かった。
だけど先生や皆の手が僕の手を離
さないでいてくれたから、僕は今ここにいるんだ。
ありがとう、御幸。今度は僕の番だね」


小刻みに震える御幸の手を、そっと握った。



胸いっぱいに広がる熱い思い

躓くたびに躓く無形の石ころを

そっと取り除いてくれる友の手

差し伸べられるその手に手を重ねれば

清らかに深い 感謝の日々

ありがとうと 僕は呟く




学校横の小さな花屋。

真幸もまたその狭い間口の敷居を跨ぐ。

溢れるほど置かれた花々の間を駆け抜け、花びらを蹴散らし、御幸の元へ。

連れて行くはずの谷口が後を追いながら。


「・・・真幸」

小さな声で呟いた御幸の心に、真幸の声が届いたのだろうか。


程なく廊下を走る複数の足音が聞こえて、食堂の扉が乱暴な音をたてて開いた。


「・・・御幸、何してるんだ。何でお前、こんなところにいるんだよ!」


真幸の後ろに、困惑した様子の谷口が立っていた。







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